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プロフィール
HN:
トラブルカフェシアター(通称TCT)
性別:
非公開
自己紹介:
 「恋人をデートに誘えるお芝居」「ふらっと見に来れるお芝居」を創り続けるというコンセプトのもと、2000年12月に結成されたアマチュア劇団。
 映画で言うならハリウッド、漫画で言うなら少年ジャンプのように分かりやすく、熱く、面白い芝居。 ひょっとしたら貴方に息をつく暇さえ与えず、飲み込んでいくかもしれない。しかし、それこそがTCTが唯一できることであり、TCTにしかできないことだ。
 TCTは、貴方の概念を正々堂々看破し、これからもここ盛岡を中心に芝居をよりエンターテイメントとして確立していく。

 そう。私たちは貴方に、そして盛岡に挑戦し続けるのだ。
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岩手県盛岡市で活動中のアマチュア劇団「トラブルカフェシアター(通称TCT)」の特設ブログ。2009年6月に上演いたしました「腕呼争場-WANKO SOBA-」について、稽古風景や団員たちの日常の様子を日々綴り続けた回顧録です。
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福士です。ご無沙汰して、すいませんでした。では、本編。
自分の番が来ました。5人が面接官の前に並び、順番に話をしたり、演技をしたり。自分は5人の中の3番目か、4番めだったと思います。
名前を言って、面接が始まりました。好きなアニメとか、聞かれたような気がします。
まあ、自分は普通にやりとりしたつもりです。そして、いよいよ腕の見せどころとなる家族の会話。かっぱでやっているようにやってみました。ちなみに、自分は声が高いので、子どもはオッケー!渋いお父さんとかは難しいかなと思っています。それなりにこなしただろうと思って、自分の番が終わると、後ろがざわざわと。まあ、声もでかいし、堂々と(態度がでかいともいう)していたし、まずまずの(プロから見れば、ふざけんな!)演技だったからだと思います。
自分の番が終わるとそのまま、部屋を出ます。受かるかどうかの判定は、後ほど郵便でというものでした。
そんな感じで部屋を出ました。
受かるだろうと思って、父と一緒に盛岡に帰りました。
次回は、[受かるのか?福士]です。
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福士です。みなさんはどんなGWを過ごすのでしょうか?
オーディションは、大学2年生くらいの時に東京に行って行いました。当時の読売新聞のテレビ欄の片隅によく広告を載せていたところに行くことにしました。かっぱで何度か舞台の経験は積んだし、どんな感じでオーディションってやるのか、今後のために経験しておこうと思ったわけです。
親に話して、父と一緒に東京に行きました。今にして思うと子どもみたいですが、稼ぎもなかったので。 場所は、皇居の近くのビルの一室でした。けっこう、人がいました。子どももいました。まぁ、声優ブームだなあと思いました。
椅子が並んだ会場に番号順に座りました。前には、審査員らしきというか審査員の人たちが座っていました。女優さんもいました。きれいな人だなあと思い、見てました。名前は覚えてません。
一つの部屋で、2つに分かれて5人ずつオーディションを受けました。ちょっとした台本(家族の会話)を一人で声を使い分けて読むこととちょっとした自己紹介をするという内容で行われました。
前に座っている人たちから、順番に行いました。
 待っていながら、他の人の話し方を聞いていましたが、正直、この人スゲー!という人はいませんでした。
続きは後ほどです。次回は、[いよいよ、福士の番が来た!]です。
福士です。今日、遠藤くんの対談を読みました。彼はすごいね!
香港活劇姉妹さんにお世話になりながらも本拠地はかっぱと思って活動を続けました。先輩たちは、二年生の冬で引退みたいな流れできていたところを、俺は四年生まで関わり続けました。後輩たち、ごめんなさい。
自分にとって、芝居は将来につながる大事なものだったからです。
人によって部活なり、サークルに対しての考え方は様々です。何より優先という人、まあ楽しければという人、等々。
自分は、将来に声優という夢があったわけだから、前者でいたつもりです。甘いところはありますが。
そんな思いでいた自分は、三年生だったかな?東京に声優学校みたいなところにオーディションを受けに行ったのでした。
そのことは、次回で。
福士です。ONEPIECEサイコー!
 前回は自分が一年生のときの思いをぶつけました。 一年かっぱにいて特にも思ったことは、芝居の脚本についてです。自分は、わかりやすい芝居が好きです。なんだか、何がいいたいのかわからない芝居は、うーんという感じです。それを感じられず、頭が悪いと言われればそれまでですが。まあ、わからなくても、なんか感動する!というのもありますよね。きっと、そういうのを、かっぱの先輩たちは求めていたんだなと思います。
自分が思うに、自分が1年生のときの4年生は、香港活劇姉妹さんに芝居の方向が向いている方々が多かったので、その影響を先輩たちは受けていたのだと思います。
香港活劇姉妹さんの芝居は、すごくいいです!学生のときから、お世話になって、何度も一緒の舞台を踏んで、心の拠り所になっています。そして、いろいろ自分に教えてくれました。香港活劇姉妹さんの人たちは、すごい人たちばかりです!今度、公演するときは、ぜひ見に行ってみてください!
なんだか、話が宣伝になってしまいました。次回は、気を取り直して、書きたいと思います。
福士です。昨日は、その前の文章も付けてしまいました。ごめんなさい。
 というわけで、部活中心で生きてきた自分は、かっぱを中心とした生活スタイルになります。かっぱは、当時、7月の夏公演、11月の学祭公演、1月の冬公演、そして3月の卒業公演と年に4回で公演を打っていました。練習がある時は、毎回出ましたし、かっぱの公演には4年間で、10回以上関わりました。
まあ、今にして思うと、自分は自宅生で、バイトは最初は全くしていませんで、そういう人たちの立場をわからずに、公演に関わっているのに、役をもらっているのに、練習に来ないって、どういうことだ?と思っていました。
ということで、練習に来ない先輩や同期には、不信感もつのりました。
役者をやりたくて、かっぱに入っているのに。だから練習に行っているのに。1年生の1月公演で役をもらえませんでした。それで、不信感は一気につのりました。役をもらえなかったのは、実力不足と言われれば仕方ない。
 自分たちのすぐ上の先輩たちとは、距離が出きてしまいました。ギクシャクしたまま、その公演はなんとか終わりました。
そして、4年生の卒業公演。俺の中で、かなり尊敬している方々です。もちろん、卒業公演に関わったわけですけど、なんだか、かっぱみんなで一つに!といった感じは、受けませんでした。
なんだか、今日は、よくないことばかり書いてしまいました。ごめんなさい。次回は、良いところを。
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